二度寝して、ゴスと森山良子の歌声で目覚めました。
けっこうな頻度でゴスを聞いているから、意識なくても耳は反応したのかなどと暢気に考えましたが、二度寝で4時間は寝すぎです。
とりあえずマさんはUSJの新アトラクションに乗ればいいと思ったそんな土曜日。
何事もなかったかのように、こっから先ダラダラと、でも内容は真面目です。
二度寝から目覚めたときか、昨日なのか一昨日なのかそれすらもあやふやな記憶ですが。
TVにスピリチュアルなあのお人が出てまして。
話の内容はまったく聞いてませんでしたが、ただ例えなのかサルの話がありました。
サルの呼び方に「エテ公」というのがあります。これはあまり良くない方の表現。単に口が悪い人という可能性もありますが、侮蔑の響きが混じっています。しかし(他でその説を確認してませんが)スピリチュアルなあのお人が言うには、元は「得て公」で縁起の良い呼び方なのだと。それが年月を経て意味が変わってしまったのだと。
似たような話を聞いたなと。
去年、ちょっとだけネタに使った「そして誰もいなくなった」
これの原題。いまや原題といえず、英語タイトルというべきでしょうか。
出版された当初は「Ten Little N*ggers」
うわお。いまや伏字。(タイトルなのでそのまま載せてもいいかと思いつつ、自分が知った時に既に差別語だったのと、伏せる方が当たり前となってるようなので)
これはさすがにマズイだろうという流れで、変更。
「Ten Little Indians」
私なんかは、最初これで知りました。
しかしこのタイトルも、「Indian」はもちろんインド人の意味ではなく、現在そちらの意味では使わないという事なので再び変更。
「And Then There Were None」
……逆輸入?日本語タイトルのまんまとなりました。
こうした問題には詳しくないので、あまり触れるのもどうかと思いながら。とりあえず手を広げるのはやめときましょうということで、「Indian」は置いておきますが(根っこは同じ問題)
「N*gger」今チェックしたら、NY市議会でこの言葉を使わないようにしようという(条例?)(今見たんちゃうんかい)決議が採択されたとか。もう以前から、マスメディアではこのように伏字や婉曲で使われているそうですが。
元々は「黒い」を意味する言葉から派生した語で、当初はそこまでの差別的意味合いはなかったはずなのです。もちろん揶揄という役割はあっただろうけれど、罵倒の意はなかったはずだと。
黒人同士(ああ、この黒人という語すら、不安になってきましたぞ)(日本語での差別語の一つは「黒*ぼ」ね)では、スラングとして使われたりする場合もあるのです。
でも、それが差別する言葉へと変容していった。
間に何か段階があるかあやふやですが、そうした差別意識のない表現にしようと使われ始めたのが「Black(People)」
……これは、今でも使ってもいいんだよね?
しかし、より好ましい表現をという動きもありまして。
更にこの10年ちょい?くらいで使われているのが「African-American」
……ま、当然ながらアメリカ以外に居住する黒人さんには使えないのですが……その場合は「アフリカ系○○国人」とするのかな。
出自がアフリカじゃない場合はどうなんだとか、いろいろ気にするポイントもありますが、要するに「あ、黒人」ではなくその出自と今の彼らを尊重して呼ぼうよという動きですね。
日本人はつい「あ、外人」と英語で済まそうとしてしまうとか、その感覚なのか……(あうあう、話がずれていく)
で、一個前に戻りますが、どうして「Black」から新しい言葉に移り変わっていくのかといえば、(この件に関してはちょっとどこまでがそうなのか分かりませんが)「Black」を使うのに差別意識がある場面が多かったからではないのかな、と。
元々はそんな意味を含んでいなかったのに、使う側が持っていた気持ちが言葉に宿ってしまった、そんな事情もあるんじゃないかと。
ほんと、疎いのにこういう話題を扱うから深くは入れませんが。
日本で、ホームレスっていますね。
あれも昔はなかった言葉ですね。
昔あったほうの言葉は今は使われません。
それどころか、書類上では、そちらの表現で表される人間はいないそうです。(しかもそんな話がしたいんじゃない・苦笑)
学生時代のメモとか見ないと確認できませんが。
アメリカで、そうした職も家も持たない人々の事を表現する言葉が当然ありまして。(それが思い出せない)
やはり差別語となってしまったので、代わりの言葉を作らなくてはいけなくなった。そこで中でも女性を指して「Bag Lady」という語がうまれまして。生活の一切をバッグ一つに詰めているからでしょうね。
そうやって作ったはずの言葉なのに、今では「Bag Lady」に差別の意味合いが含まれている。
(だいぶ年数経ったから、また新しい言葉できてるのかな)
他にも、例えば差別語を避けるために仲間内で使う自分たちの呼び名があって、でもそれが外に広まったら今度はそれが新しい差別語となる、なんてこともある。
言葉が変わっても、その存在には変化が起こるわけでもない。
それ以上に、使う人々の意識に変わりがない。
相手の立場を配慮する言葉を考える事自体は賛成ですけどね。
大切なのは言葉の変革ではないのだな、と。
こういう自分もかなり狭い世界に住んでいるので、自分がどうなんだと問われれば自身も何もありませんが。
10…年以上、15年以内くらい前の本ですが、急に思い出す。
というか、これデーブ・ス●クター関わってたんだ。……なんか急にうさんくさい(笑)(これこそ差別か・笑)
政治的にもっと正しいおとぎ話ジェームズ・フィン ガーナー James Finn Garner Dave Spector

あくまで当時の基準ですが。
おとぎ話って、内容や表現にかなり差別的な部分がある、と。
それを徹底的に排除したらこうなりましたよ、という本。
有名なお話がPC(Politically Correct=政治的に正しい)語に翻訳されてるという本です。
……なんか、白雪姫とかおぼろに覚えてるんだけれど。
たとえば「小人」は「垂直方向に挑戦された人」とかそんな感じ。
同じく太っているなら「水平方向に」、目の見えない人なら「視力的に」。もちろんこのバリエーションだけではありませんが。
ブラックユーモアですね。
行き過ぎを辛辣に笑っているという。
思い出したら、なんか読みたくなったな…
母校の図書館にはあるはず(私が注文して入れてもらったから・笑)
さ。今回も、なんの結論も出さないまま終わる。
あ。魚の和名の話しようと思って……もういいや(笑)
魚類全般でもバカ貝(アオヤギ)のように愛称はどうすんだとか、
魚はそうやって変えたけど、他の動物…アホウドリなんて、すぐに捕まるからアホウドリですよ。あんなのどうすんだとか。徒然なるままに思いを巡らせ日々過ごしていますよ(そんな終わり方?)